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Just way you are

君はマイノリティー


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ふと思い返すと僕は'耳'というワードにずっと苦しめられていたのかもしれない。


今から書くのは僕の人生のパーツである耳(以降'君')の短編物語だ。そしてこれを読んだ後に全てを理解してほしいとは思わない。特別に優しくしてくれなんて思わない。ただあなたの周りの大切な人に似たような人がいたら理解できる知恵袋のようで処方箋のようなものだと思ってくれればいい。

 
君との出会い今宵は2019年。
僕と君は21年間の親友だ。今年には22年の仲になる。君は僕が産まれたころからずっと傍にいる。君は日常の音を聞き取り、電光石火で脳に伝え僕の日常に音という響きや情報を与えてくれる。君はとっても賢くて優秀なんだね。でも、君は他の人より少し能力が劣っている。少し前までは知らなかった。


僕が物心ついたころから君は少し弱っていたのかもしれない。

もしかしたら僕が産まれたころから弱っていたのかもしれない。僕もいつからからかわからない。お医者さんにもわからない。そう、いわゆる君は'難聴'だ。

君は聾唖者ではないから難聴といっても全く聞こえないわけではない。


感音性難聴で低い音は軽度と中度の間で、高い音に関しては高度と重度にまたがっている。補聴器を付けるほどではないけれど、聞こえない領域があったりする。

例えば、テレビでサッカーの試合を観てる時に審判が吹く笛の音は聞こえない。つまり選手の動きが止まったり実況の声で試合が終わったとかファールがあったんだとわかる。他には体育の50m走のスタート合図の笛なんて嫌いだった。鈍い音でデカい音がでるピストルでやれよって思う。でも負けたくないから笛が鳴るだろうってタイミングで走り出してしょっちゅうフライングしてた。

僕は君が嫌いだった

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僕は君が嫌いだった。
君は周りの人とは違って音をはっきり聞き取れない。好意を抱いてた異性の人が話かけてくれた時も君は1回で聞き取れないことがよくあった。その都度「ごめん、なに?」「え??」って聞き返して時には相手を困らせることもあった。部活でも伝言やプレー中の声が聞こえなかったり、聞き取れなかったことは数えきれないほどあった。謝るしかなかった。

日常生活でも聞こえなかったり聞き取れなかったことは、普通の人の何倍も何十倍もある。いつの間にか僕は「聞こえたフリ」という技を覚えて使うようになった。


全ては相手を困らせないため、聞き返しすぎて嫌われないためにだ。
弱冠20歳いかない若者が嫌われないために世間の目を気にしていた。

 

もちろんバカにしてくる奴もいた。
僕の聞き返すフリのマネとかをしていた。何が面白いのか知らないけど周りの人の中に笑っている奴もいた。僕もやられすぎたらバカにしてくる奴を殴ったり(喧嘩ではない)してたけど耳悪いことに変わりはないから受容してたかもしれない。むしろ逆手にとって耳悪いことを笑いにとったりもした。バカにしてくる奴を笑って受け流したりもした。そのうち都合の悪いことは意図的に聞こえないフリをしたりもした。

高校生の頃の僕は「耳が悪い人」じゃなくて「耳が悪い人になりきってる人」だったかもしれない。その方が他人が笑ってくれるからだ。もしかしたら強がっていたかもしれない。もちろん1人でいる時には、「なんで俺は耳が悪いんだよ、なんで俺なんだ。」と思うことも多かった。

 

高校生になれば周りへの配慮も多少できるようになるし、周りにも理解してくれる人はいた。聞こえなかったときは耳悪いと伝えたりして大きめのボリュームで話してもらったりもした。

でも時にはとんでもない言葉を投げつけてくる人もいた。そんな時の気持ちは中指を立ててファックだ。


あの頃の僕は普通の聞こえる耳がいいと毎日思っていた。

耳が普通だったらもっと綺麗な音が聞こえていたかもしれない、こんなに苦労することもない、バカにされることもない、こういった悪循環の思考になることも少なくはなかった。

何度願っても僕の耳はみんなと同じ普通の耳にはならない。朝起きても僕の耳に変化は起きずいつもの毎日が始まる。

だから、僕は君が嫌いだった。普通じゃない君が大嫌いだった。

 

旅での出会い

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僕は大学生になるとこれまでずっと続けていた野球を辞めて旅に出た。
2年前に初めての海外で今では9カ国25都市を回った。そんな中、1年半前ぐらいに忘れられない出来事があった。

彼女の名前は知らない。顔も声も覚えていない。だだ僕が旅中に見てた動画に映り込んでいただけだ。

彼女は聾唖者だった。耳が聞こえないけれど世界一周していた。

どんな表情で何を話していたか覚えていないけど、自分の体の中にとても大きな稲妻のような電流が流れたのは今でもハッキリと覚えている。

海外で耳が聞こえないのが不安だった僕の考えを払拭し180度思考が変わった瞬間であり、当時の僕には耳が全く聞こえないのに世界一周している彼女がめちゃくちゃかっこよく見えた。

僕は君と生きていく

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それから僕の考え方が変わった。

昔までの自分の思考がバカバカしくなった。耳が悪いことに変わりはないが昔より前向きになった。

それ以降「聞こえる」ということに感謝するようになった。

家族の声、恋人の声、友達の声、好きなアーティストの歌声、夏を感じさせるの蝉の鳴き声や風鈴の音。そんなの聞こえるのが当たり前だと思っていたけれど当たり前じゃないということに気が付けた。もちろん聞こえない方々を可哀想や非難している訳ではない。ただ難聴である身として、聞こえるということがどれだけ幸せなことであるのかを他の人よりは自負しているということだ。

今では難聴でもプラスに考えられるようになった自分は幸せ者だと思っている。

旅にでで、難聴以外の他のことに置き換えても日本のは当たり前は世界じゃ当たり前じゃない。ということにも気が付けた。旅は僕の中の物差しを広げ世界中の様々の奏でる音や息を飲むような景色や忘れられない出会いや自然が創り出すサービスを提供してくれる。

そんな僕も、近いうちに顔も声もわからない彼女と同じように世界一周しようと思う。そして他の誰かに僕の行動やしてることでほんの少しでも希望や夢を与えられたらいいななんて思っている。

幸いにも僕の心の体力メーターは緑の部分が多いから、何か差別的なことや嫌がらせをされても、黄色や赤色になる前にリフレッシュしたりして回復できるから大丈夫だ。

でも、みんなが体力メーターの緑が多いってわけじゃない。僕らが子供の頃好きだったウルトラマンみたいに3分で赤に点灯してしまう人だっている。


だから、これを読んでいるあなたが耳の悪い子をバカにしてるなら今すぐやめてほしい。赤になったら心が死んじゃうからね。


「お前は耳が悪い。障害だ。」とか言って、その人の人生や夢を潰したり悲しませてるのに早く気付け。耳だけに縛らず普通というのは恵まれていると思う。もちろん普通じゃないから恵まれていないというわけではない。

 

障がいも障害ではない。
障がい者を”障害”だと思っている人や差別や中傷する人が”障害”だ。

 

それと、ある哲学者の有名な言葉がある。

 それは「耳が聞こえないことは人と人を切り離す

 

恐ろしい言葉だが嘘ではない。科学的にも証明されていて円滑な会話が進まないと関係が悪くなる。あなたにも思い当たる節があると思う。何回言っても聞き取れない人、毎回2回言いなおすとか正直イライラする時があるよね。

僕も人間だし言う側の時イライラするする時はある。


よく勘違いされるのは「聞き取れなかった」を「聞こえなかった」と認識されること。他の難聴者の方も似たような経験があると思うけど、声は聞こえているんだけど全部聞き取れなかったって感じ。

たまに聞こえ方によっては”す”と”つ”なんて難関大学の模試くらい聞き分けが難しい時がある。聞き返すときも申し訳ないとか思うよ。

でもしょーがない、だって耳が悪いんだから笑
僕の周りには優しい人と理解してくれる人がたくさんいるからありがたいことだ。

だから人のコンプレックスや弱みをついて笑いに変える奴は正直ダサすぎるしつまらない。
そう思うから今の自分の周りにはそういう”ダサい人”があまりいないのだと思う。

終わりに

人生はこの世に生まれた以上いくつもの試練があると思う。
もしかしたら僕もあなたも急に耳が聞こえなくなるかもしれない。補聴器をつけて手話で会話をする日がくるかもしれない。けれど心配しないで欲しい。あなたにはそばにいてくれる人が必ずいるから。


僕は屈しない。それは自分の可能性を信じて何かできることがあると思っているから。だから今後辛いことを言われようが体験しようが僕は前に進んで行く。

人より不利な時があるのはわかっているからこそ、その逆境に克己心で頑張っていく。この下手くそ物語を読み終わった後にどう思うかは自由です。


でも、あなたの近くにいる大切な人を思いやったり、今までの当たり前を幸せに感じることはできたかもしれません。

 

読んでくれてありがとう。